NEWS   新聞記事や雑誌で紹介されました!     (updated on April 24, 2016)

 

  • 毎日新聞「憂楽張ー 夫をどう呼ぶ?」2015年10月23日 西部夕刊

   http://mainichi.jp/articles/20151023/ddg/041/070/010000c

 

  • 雑誌『ハルメク』2016年5月号 「夫を『主人』と呼びますか?」

   (シニア女性誌 部数NO1. )

 

   http://magazine.halmek.co.jp/backnumber/

 

  • 「日本語ジェンダー学会」が2016年4月より新体制となり

    新ウェブサイトがオープン! http://www.langgender.jp/


私たちの生まれついての生物学的性別とは別に、

女はこうあるべきだ、男はこうあるべきだといった社会通念や慣習にもとづいた

役割や行動、話し方、などにも男女の違いがみられます。

 

こうした社会や文化によってつくられた男女の差を「ジェンダー」

 

すなわち「社会的性別」といいます。

 

ジェンダーは、地域や文化によって異なり、時代によっても変化しながら、

日常生活の隅々に溶けこんでいます。そして、

人が成長する過程で知らず知らずのうちに意識の中に

「女らしさ」や「男らしさ」などの意識が深く植えつけられていきます。

 

私は、ことば、特に日本語の中に潜んでいるジェンダーに関して研究しています。

その題材としては、例えば、テレビドラマ、映画、吹き替え、マンガ、小説、

歌詞、教科書、などが挙げられますが、なかでも、

テレビドラマの若い登場人物の台詞の中や日本語教科書の中の女性文末詞使用、

および、教科書における日本女性像の描写について研究を深めてきました。

 

「日本語の中に潜んでいる」と言ったのは、

ともすれば、気づかないうちに見逃してしまうことがあるからです。

 

私たちが日常生活で使っていることばにも、よく観察すると、

ジェンダー・イデオロギーによることばや表現があります。

例えば、今までは、一般的には「会社員」というカテゴリーの女性であっても、

わざわざ「OL」や「キャリアウーマン」などと、

女性だけを特化した表現が使われていましたね。

男性社員にはそのような表現はなく、

男性社会で働く少数派の女性を区別してつけた呼び方です。

 しかし、これらの表現は、女性の社会進出が当たり前になった現在では、

差別語として認識されるようになりました。

 

また、年を取ると女性だけ「老女や老婆」などと呼ばれ、

これに対応する男性表現はありません。

また結婚した女性は「井上さんの奥さん」、「中村夫人」などと、

夫に付随した存在として認識され、

「井上愛菜さん」や「中村京香さん」というように

名前では呼ばれないことが多いのも

日本語の中のジェンダーの代表的な一例です。

また、女性は控え目で男性を陰で支えてこそ本来の姿だという考え方から、

積極的でエネルギッシュな女性は、陰では

「女のくせに」や「女だてらに」などと批判されることもよくあります。

 

一方、そのようなジェンダーに支配された表現は男性に関してもあります。

例えば、「男のくせに」「女の腐ったような(男)」「女々しい」など。

ただ、2つめと3つめの表現には、「女」という文字が含まれるため、

根源に「女はうじうじしていて優柔不断、それよりも程度のひどい男」

という意味も含まれており、

男に対する非難の前提に女性非難がすでに存在する、

というところにも問題が見られます。

 

これらはほんの一例ですが、単語だけではなく、

文末に現れる文末表現にも、男女の区別があるのが日本語の特徴の1つです。

現代ではすでに若い世代の女性(標準語話者)は

あら、すてき」「いいわね」「いくらかしら」「セール」などの、

いわゆる「女ことば」は使わず、

従来の「男ことば」である「、すてきだね」「いい」「いくらかな

「セールだよ」などを男性同様に使用しています。

これらの傾向は1980年代末頃から始まり、

90年代以後は、それを立証する研究も発表されています。

 

しかし、そうした、従来、女らしいとされてきた表現は、

時代が変わって現実社会では使用されなくなっても、

いまだにTVの台詞や洋画の中の若い女性の台詞にも

山のように使われているのです。

 

なぜ、現実には使われなくなったそのような表現が、

いまだに多用されるのでしょうか。

いかにそのキャラクターの特徴を際立たせるためだと言っても、

やはりそこに「女性は女ことばを話すものだ」「女ことばは女らしい」という

ジェンダー意識が影響していないとは言い切れません。

 

私達はともすれば、男女という性別にこだわり、

女としてどうか、男としてどうか、で判断してしまうことがありますが、

まずは、それ以前に「その人らしさ」を認め、それを生かし、

人間として互いを尊重し合いたいですね。

 

このページでは、特に、

自分が使うことばや表現の中に

どれだけジェンダーの思い込みがあるかということを

皆さんと一緒に考えるメッセージを発信していきたいと思います。

平成27年9月 

水本光美 (Terumi Mizumoto)

 


出版  Newly Published!

学術書を出版しました


水本光美 著


大学教育出版, 2015年4月.

 

ISBN: 978-4-86429-321-1 (2160円税込み)


http://www.kyoiku.co.jp/syoseki.cgi?book=901

 

amazonでも購入できます。

 

 

「女ことば」と「日本女性像」という2つの着眼点

 

から、日本語教科書の中に、いかにジェンダーが潜

 

んでいるか、それらが現代日本社会の現状を正しく

 

反映しているかどうかをデータ分析結果の比較から

 

考察し、さらには今後の日本語教科書のあり方を述

 

べる。


【特徴】

1. 多数の自然会話(1組30分、合計66名分)やロールプレイ(1組15~20分、合計58名分)を収録、女性文末詞使用率を集計した結果の分析・考察

 2. 会話参加者全員に実施したアンケート調査結果を集計・分析

 3. 60冊の教科書や関連教材を綿密に分析し、女性文末詞使用率および女性の描写のされ方を観察・考察

 4. 200名の国内外の日本語教育関係者へのアンケート調査結果の分析・考察

 5. 現在の日本社会に関する政府によるデータと日本語教科書のデータを比較・分析

 6. 今後の日本語教科書:ジェンダーの観点から見た教科書の問題点とジェンダーフリーを目指す教科書の具体的一提案

 


 なぜ「女ことば」と

「ジェンダー」?


本書では、「女ことば」、特に「文末に現れる文末詞としての女ことば」と「日本女性像」という二つのテーマを扱っています。世の中には女性のみならず男性 特有の文末詞も存在するし、なぜ女性像などと女性だけにフォーカスするのかという疑問を呈する人もいるでしょう。確かにどちらも研究できれば言うことはな いのですが、研究というものは自らの興味によって触発されるものです。

私の場合は、長年日本語を教える教師としての視点から疑問を持ち、研究への意欲を触発されたのが「女ことば」と「日本の女性像」だったのです。

 

かなり“い い年”になってから日本を離れ、それまで日本文化における女性の役割に疑問をもち、過去のジェンダー・イデオロギーからプレッシャーを受けながらも、やは り一般に求められる “日本女性の女らしさ”というものを背負って渡米し、アメリカで学んだ後、教鞭を執った経験から、こと「女であること」と「人間であること」の間で揺れ動き考えさせられることが多々あったということにも、起因するのかもしれません。

 

この本は、2000年代半ば頃からの研究をまとめたものですが、若い世代の女性から「女性文末詞」が消えていっていると気づいたのが、90年代初め。久しぶりにアメリカから帰国した私は、その日、東京の山の手線に乗っていました、、、(つづきは、本書の第1章をお読み下さい)